第6回 橋元才平翁記念ファミリーコンサート
千住 真理子 Senjyu Mariko
2 歳半より鷲見三郎氏に、11歳より江藤俊哉氏に師事。1973年全日本学生音楽コンクール小学生の部全国1位優勝。1975年第1回「若い芽のコンサート」でN響と共演し、12歳でデビュー。以後、第26回パガニーニ国際コンクールに最年少で入賞など、数々のコンクールで輝かしい成績を残す。慶応義塾大学文学部哲学科卒業後、指揮者故ジュゼッペ・シノーポリに認められ、1987年フィルハーモニア管弦楽団定期演奏会でロンドンデビュー、翌88年ローマデビューを果たす。1990年デビュー15周年を機に自身のプロデュースによるリサイタルを開催して話題を集める一方、国際交流基金による文化大使派遣演奏会を各国で行い、音楽による国際親善にも努め、20周年を機に自ら主催した全額チャリティーコンサート活動を活動を行うなど、社会活動にも関心を寄せている。
演奏活動の他にも、NHK報道番組「世界は今」でのキャスターや、教育テレビ「趣味悠々」のバイオリンの講師を務めるなど幅広い活躍で知られ、NHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」では音楽を兄の千住明氏が担当、千住真理子が演奏し注目を浴びる。
1993年文化庁「芸術作品賞」受賞。1995年モービル音楽賞奨励賞受賞。2002年秋、ストラヴィヴァリウス「デュランティ」との運命的な出会いを果たし話題になる。
CDの他にも多くの著書を手がけ「ふだん着でトーク」は高等学校用国語検定教科書に掲載。
籾山 和明 Kazuaki Momiyama
1968 年桐朋学園高校音楽科弦楽科入学。バイオリンを宗倫安氏、指揮を故斎藤秀雄氏に師事。小澤征爾氏や朝比奈隆氏、秋山和慶氏の副指揮者として活動を始める。 76年チェコフィルハーモニー交響楽団の常任指揮者ズデニェク・コシュラー氏の招きで、チェコフィル及びスロヴァキア歌劇場で研鑽を積み、イタリアのF・フェラーラ氏によるゼミナールでの特別賞受賞記念演奏会にてプラハコンセルヴァトワールオーケストラを指揮する。78年からはロンドンに滞在。81年新日本フィルハーモニー交響楽団の専属指揮者となる。同年、文化庁海外派遣指揮者に選ばれ、ロンドンBBC交響楽団に派遣される。83年宮城フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者に就任。89年より同管弦楽団(現・仙台フィル)客演指揮者に就任。また、85年以来毎年数回、定期的にソウルの音楽界に招かれ、ソウル市立フィルハーモニー管弦楽団及びコリアン交響楽団の常連客演指揮者としても活躍しているほか、桐朋学園オーケストラの指揮者として、母校での指導にもあたっている。
藤井 一興 Kazuoki Fujii
東京芸大3年に在学中、フランス政府給費学生としてフランスに渡り、パリ・コンセルヴァトワールを作曲科、ピアノ伴奏科共に1等賞で卒業。また、パリ・エコール・ノルマルでピアノ科を高等演奏家資格第1位で卒業した。その間、作曲をオリヴィエ・メシアン、ピアノをイヴォンヌ・ロリオ、マリア・クルチォに、また、ピアノ伴奏をアンリエット・ピュイグ=ロジェの各氏に師事。以来多くの国際ピアノ・コンクールで入賞する。ヨーロッパ各地や日本国内でのソロ・リサイタルや室内楽、オーケストラとの協奏曲のほか、フランス国営放送局やヨーロッパ各地の放送局や日本のNHKでの多くの録音・録画など幅広い活動を行っている。
多数のレコードをリリースする他にも作曲家としても活動を続けており、フランス文化省からの委嘱をうけるなど、その作品が演奏会や国際フェスティヴァルで演奏されている。
下関南高管弦学部
下関南高等学校管弦学部は、1978年に創部された歴史と伝統がある。現在の部員数は、全校生徒の5分の1にあたる。入部時はほとんどの部員が初心者でありながら、下記のような目覚ましい実績を残している。活動は主に毎日の放課後の数時間と土曜日だが、少ない練習時間を効果的に、また工夫された練習方法で日々高い演奏を目指して頑張っている。
〇全国学校合奏コンクール山口県大会 20年連続金賞受賞
同 中国大会 最優秀賞受賞 7回
同 全国大会 2位、3位(2回)、奨励賞(2回)
〇定期演奏会 毎年 1回 6月
〇クリスマスチャリティーコンサート 毎年 1回12月
〇全国高等学校総合文化祭出演(熊本、新潟、福岡大会)
Program
ラルゴ (オンブラ・マイ・フ)・・・ヘンデル
愛 の あ い さ つ・・・エルガー
夢 の あ と に・・・フォーレ
冥 想 曲・・・チャイコフスキー
シャ コ ン ヌ・・・ヴィターリ
行進曲「威風堂々」第1・・・エルガー
組曲「くるみ割り人形」より
花のワルツ・・・チャイコフスキー
「アルルの女」 第2組曲・・・ビゼー
タ イ ス の 冥 想 曲・・・マスネー
チ ゴ イ ネ ル ワ イ ゼ ン・・・サラサーテ